昭和天皇のちょっといい話―金田一先生編―

 金田一京助(1882年生まれ―1971年没)

Kyosuke_Kindaichi_blownup.jpg

<盛岡市先人記念館HPより>
東京帝国大学時代、師の上田万年(かずとし)に“アイヌは日本にしか住んでいないのだから、アイヌ語研究は世界に対する日本の学者の責任なのだ。それをやる人がいないということは…”と言われ、アイヌ 語に興味を持つ。のちに北海道へ行き現地を調査、アイヌ民族に伝わる叙事詩ユーカラの存在に注目する。卒業後もアイヌの人々と交流しながら研究を続け、國學院大学教授、東京帝国大学教授を歴任、埋もれていたアイヌ叙事詩ユーカラの存在を明らかにした。戦後には国語審議会委員として現代かなづかい制定に貢献、1954(昭和29)年には岩手県出身者としては2人目となる文化勲章を受章した。また多くの辞書や教科書の編・監修者としても知られている。
http://www.mfca.jp/senjin/kindaichi/index


金田一先生は講義が長くて有名でした。
終わりの鐘が鳴っても2,30分延長することはざらでした。
新潟で行われた講演で一人で6時間話し続けたこともあります。(新潟講演事件)

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そんな金田一先生が昭和天皇に講義することになりました。

1954年(昭和29年)5月のことでした。

柳田國男ら4人と天皇の前で講義することになった金田一先生。
制限時間は一人15分
最初の柳田先生は『日本人の起源』をぴったり15分で終わらせました。

金田一先生は『内地のアイヌ語地名について』をテーマとしました。

金田一先生は話し始めると止まらず、気が付けば45分が過ぎてしまいました。
天皇の前ということで畏れ多くて誰も合図が出せなかったのです。
青くなって柳田にどうすればいいか聞くと「あと、5分で切り上げたまえ」と怖い顔で睨まれた。
金田一先生は混乱し、さらに15分かかってしまいました。

金田一京助先生の息子で同じく国語学者の金田一春彦先生はその日の夜のことを語っています。
(息子の金田一春彦先生の講義を受けられた古本屋の店主の方が記事にされています。)

御進行を終えた父は真っ青な顔をして帰宅するや、脱兎のごとく二階に駆け上がり、食事は無論のこと、ドアをあけなかった。(略)部屋を開けさせてみたら、親父殿、「幼児のごとく号泣し」、「えらいことをした、生きていけないかもしれない」とずううっとこまねいていたらしいhttp://book-eden.jugem.jp/?eid=61

金田一先生は明治生まれです。

どれだけのことをしたかご自分がよくわかっています。

数日後、天皇から四人が茶会に招かれました。
失態に恐縮して、顔も上げられない金田一先生に対して、
昭和天皇は「金田一、この間のはなしは面白かったよ」と声をかけた。
「おそれいりました」と金田一先生は涙をぽろぽろ流した。

(参考書籍 前坂俊之著 『ニッポン奇人伝』1996年2月発行)
(ウィキペディアには2時間と書かれていますが、引用元がはっきりしていなかったので前坂説をとらせていただきました)

良い話だな

(ノД`)・゜・。

たぶん皇太子殿下が昭和天皇だったら、同じような対応を取っていたと思います。

こんなに長くなったのも昭和天皇がそれだけ熱心に聴いていた証拠です。
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時には居眠り

昭和天皇も、時には居眠りをなさったそうです。
入江侍従長が「オッホーン!」と咳払いをして、陛下を起こす。
この入江相政侍従長、喰えない人物だったけど、日記に、小さな皇女の「清宮様がこんな可愛いことをおっしゃった。あんなおしゃまなことをされた~♪」とデレデレ記している。
今の皇室よりはマシです。

射手座さま

コメントありがとうございます。

>昭和天皇も、時には居眠りをなさったそうです。
入江侍従長が「オッホーン!」と咳払いをして、陛下を起こす。

貴重な情報ありがとうございます。

入江侍従は狸だと言われていますが、子ども好きの一面がありましたか!

ああ、ちゃんと入江日記読まなきゃ。

いいお話しですね

海外でなく日本の起源やアイヌ文化を熱心に聴かれる昭和天皇陛下…すてきなエピソードありがとうございます
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ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
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