2015.04/30 [Thu]
子育て中のパパママ必見 甘やかして育てると今上陛下みたいになりまっせ
厳しく育てられた昭和天皇と平成の皇太子殿下
じゃあ、3歳3か月で昭和天皇と良子さまから離され東宮仮御所で継宮はどんな環境で育ったのかというと『プリンス浩宮』という本にこう書かれています。(文中に出てくる皇太子殿下とは明仁皇太子のことです。この本は昭和に出版された本です)
学校(学習院)生活以外は、大人だけに囲まれた日々。専任の養育係りが五人、内舎人(うどねり)四人など約三十人の職員が、一人の子どもの世話をするという特異は環境だった。当時の皇太子殿下については、「本日セキを三つさなれた」といったことまでが細かく日記に書きつけられ、文字どおり、“真綿ぐるみ”の育児だったという。ベテランの皇室記者だった藤樫準二氏の回想によると、「家の中を歩かれても、自分の手でフスマを開く前にフスマの方で自然にあくという具合で、手なんかほとんどお使いにならない。学習院初等科に入学される前に、オカッパに頭を刈られたが、そのときは御所の中にある鏡を全部隠しました。皇太子さまに変わった頭をみせてはいけないというわけです」
すごい環境です。
昭和天皇、大正天皇、明治天皇と皆幼いうちに両親と離れて暮らしています。
ただし、この場合は臣下の家に引き取られてそこで教育されています。
家族というものがどんなものか見ていますし、躾もされています。
ただ、明仁皇太子の場合は時代が時代でしたから、臣下の家ではなくひとりぼっちの御所で生活していました。
大人たちが異常なまでにこの子どもが配慮しすぎた。
こんな幼少期を過ごした人間がその後どうなったのかは平成を見ればわかります。
【追記】
にゃあさまコメント
転んでも自分で起き上がったことがない。
養育係が駆け寄って抱き起こすから。
学習院初等科へ上がっても、女官が手を繋いでくれないと階段を昇れなかったとか。
完全に失敗の育児ですね。
でひゃああ、どんだけ~
と叫んでしまいました。
本当に甘やかされて育てられたんですね。
昭和天皇と良子さまは再会した時びっくりしたでしょね。
「ええ、久しぶりにあったけどうちの跡取り息子って今こんなレベルなの!?」って。
じゃあ、3歳3か月で昭和天皇と良子さまから離され東宮仮御所で継宮はどんな環境で育ったのかというと『プリンス浩宮』という本にこう書かれています。(文中に出てくる皇太子殿下とは明仁皇太子のことです。この本は昭和に出版された本です)
学校(学習院)生活以外は、大人だけに囲まれた日々。専任の養育係りが五人、内舎人(うどねり)四人など約三十人の職員が、一人の子どもの世話をするという特異は環境だった。当時の皇太子殿下については、「本日セキを三つさなれた」といったことまでが細かく日記に書きつけられ、文字どおり、“真綿ぐるみ”の育児だったという。ベテランの皇室記者だった藤樫準二氏の回想によると、「家の中を歩かれても、自分の手でフスマを開く前にフスマの方で自然にあくという具合で、手なんかほとんどお使いにならない。学習院初等科に入学される前に、オカッパに頭を刈られたが、そのときは御所の中にある鏡を全部隠しました。皇太子さまに変わった頭をみせてはいけないというわけです」
すごい環境です。
昭和天皇、大正天皇、明治天皇と皆幼いうちに両親と離れて暮らしています。
ただし、この場合は臣下の家に引き取られてそこで教育されています。
家族というものがどんなものか見ていますし、躾もされています。
ただ、明仁皇太子の場合は時代が時代でしたから、臣下の家ではなくひとりぼっちの御所で生活していました。
大人たちが異常なまでにこの子どもが配慮しすぎた。
こんな幼少期を過ごした人間がその後どうなったのかは平成を見ればわかります。
【追記】
にゃあさまコメント
転んでも自分で起き上がったことがない。
養育係が駆け寄って抱き起こすから。
学習院初等科へ上がっても、女官が手を繋いでくれないと階段を昇れなかったとか。
完全に失敗の育児ですね。
でひゃああ、どんだけ~
と叫んでしまいました。
本当に甘やかされて育てられたんですね。
昭和天皇と良子さまは再会した時びっくりしたでしょね。
「ええ、久しぶりにあったけどうちの跡取り息子って今こんなレベルなの!?」って。
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子どもをスポイルする環境
なんだー、そうだったのか。
香淳皇后さまのお手元で育った方がきっと良かったですよね。
昭和天皇は、少なくとも幼い頃はもっと家庭的に育っていらした印象だったけど(貞明皇后との繋がりも強かったみたいだし)、それはまだ皇太子の子に過ぎなかったおかげなのかな。
明治末から大正の時代の雰囲気だったのかな。
育てた方も一生懸命だったんだろうけれど、こんな育て方じゃダメだよー
昭和天皇ご夫妻もお気の毒です。