千ヶ滝プリンスホテルで記者会見した昭和の皇太子夫妻

図書館から『新天皇家の自画像』という本を借りました。

これは昭和の皇太子一家の明仁皇太子成人会見から昭和の終わりまでの記者会見収録した本です。

それを読んでいてあることに気が付きました。

昭和44年8月12日 結婚10周年記念記者会見

昭和47年8月10日 夏の定例記者会見
(軽井沢での夏の記者会見は昭和37年から行われていたが、一問一答式(またはそれに近い形)で新聞に掲載されるようになったのはこの場から。)

昭和52年8月10日 夏の定例記者会見

昭和54年8月17日 夏の定例記者会見

昭和55年8月10日 夏の定例記者会見

昭和61年8月23日 夏の定例記者会見

昭和62年8月18日 夏の定例記者会見


この上記記者会見に共通することは千ヶ滝プリンスホテルで行われたということです。

千ヶ滝プリンスホテルって何?という方へ

元朝香宮の別荘だったものを国土計画が昭和21年に買収してホテルにした。
明仁皇太子は昭和24年にバイニング夫人の招きで初めて軽井沢を訪れ、気に入って翌25年から夏をここで過ごすようになった。テニスコートや広い庭がある。現在は皇太子一家の専用になっており、一般のホテルとは違う。


はい、最後の一文に注目

>現在は皇太子一家の専用になっており、一般のホテルとは違う。

そうなんですよ。民間のホテルを貸し切っていました。

内廷皇族であるならば御用邸を使うことができます。

那須、須崎、葉山がありますね。

そのうち、那須と須崎には付属邸があります。

付属邸は皇太子一家が利用するための別棟の建物です。

昭和53年8月10日に東宮御所檜の間で行われた夏の定例会見では記者に

「那須、須崎御用邸に付属邸がありますね。もう少し利用されたらいいんじゃなかという声もありますが、あまりあの辺はお好みにならないんですか」

と聞かれています。

もう当時から「明仁皇太子一家は軽井沢ばっかり行ってるな。御用邸使わねえのかよ」と言われていたようですね。

それに対する答えは

須崎は夏が一番季節だが、昭和天皇が使いたいと思うから夏に須崎は利用することを控えている。
(ちなみに昭和の皇太子一家は浜松の海岸で毎年泳いでいました。)

そして那須に関しては

「那須は私はあまり好きじゃなんです。植物が咲いたりすれば大変面白いんですけどね(原文ママ)」

と回答しています。

那須の人間は「(明仁)皇太子一家は那須に全然来ない。嫌いなんだろうね」と噂していましたが、まさか本当にそう回答するとは思わなかったでしょう。

それにしても不思議でしょうがないのは

皇太子ご一家の那須、須崎の御用邸での静養は叩く癖に、

昭和の皇太子一家の軽井沢豪遊についてふれないのはどうしてですかね?

なに、この記者会見に出た記者はみんな亡くなっているのかしら?

だからどの新聞社雑誌社も取り上げないのかしら?

ちなみにこの本に収録されていない記者会見もあるっぽいからもっとたくさん記者会見しています。

バカンス中のホテルで記者会見。

平成の皇太子ご一家が那須の御用邸で記者会見をしたらどれだけ叩かれるか!

昭和の国民ってガミガミ言わなかったと考えてよろしいのかしら?

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No title

昭和の東宮家が軽井沢で長期滞在されていたのは有名な事実です。
美智子妃が笑顔で東京駅を発たれる時の写真が数多く残っています。

昭和の東宮家は長い間、軽井沢で過ごされるので、東宮職が千ヶ滝プリンスホテルに設置されたほどです。
礼宮と紀宮にいたっては現地の保育園へ登園されていました。





「美智子皇后」   河原敏明 著   講談社 刊
平成2年10月20日 第一刷発行
(平成4年11月5日 第十三刷発行より書き出す)
267p
ただ年に1回七夕の織姫と彦星のように、わりと無礼講に楽しめる日があった。
正田家の別荘に、東宮ご一家が来られるのだ。
警察や侍従、女官たちがいるから完全な団欒とはいえないが、この日ばかりはジジ、ババとしてお孫さんたちを抱きしめ、用意の玩具で遊んだり絵本を読んであげられた。
孫が長じては話相手になり、スポーツに興じることもできた。

****************************

「美智子妃」   河原敏明 著  講談社 刊
昭和62年10月12日 第1刷発行
59p.
このときは五時間半も水入らずで歓談している(因みに美智子妃はご結婚以来四半世紀を越えた今日まで、里帰りはわずか十数回にすぎないが、初年の三十四年に三回、三十五年に二回と、この両年で三分の一になる)。

そして三十四年の三回目は軽井沢からだった。すでに七月二十二日以来、皇太子とともにプリンスホテルに滞在して、ドライブや学友たちの招待、別荘訪問などを楽しんだが、肝心のテニスは皇太子だけで美智子妃は控えていた。

****************************

1990年 8月9日号  『週刊新潮』
天皇ご一家の「夏休み」が今年も西武の「別荘」なので

****************************

1990年の天皇ご一家とは現在の天皇ご一家、つまり、今上天皇と美智子皇后、浩宮徳仁親王(現・皇太子徳仁親王:立太子礼は1991年2月23日)、紀宮清子内親王です。
(※ 1990年6月29日に文仁親王と紀子さんが結婚され秋篠宮家の創設となったので、1990年8月の時点で秋篠宮ご夫妻は正確には天皇ご一家ではありません。)

このような記事が出たと云う事は、新しい天皇ご一家は、昭和時代から「夏休みは御用邸ではなく、民間企業が所有する別荘で過ごしていた。」と云う事を、当時は、正確に記事として表しています。

現在の皇太子ご一家が御用邸ではなく民間企業が所有するホテルに滞在されるのは、せいぜいスキーをされる時だけではないでしょうか。

「現在の皇太子ご一家は毎年のように軽井沢に滞在する。」と、故三宅久之氏や勝谷誠彦などが、わざとなのか、誤解しているのかは分かりませんが、ともかく悪意に満ちた表情で事実とは全く違う発言をし、それが事実を知らない人間を勘違いさせ皇太子ご一家をバッシングすると云う状況を生じさせました。

軽井沢には小和田家の別荘があるそうですが、正田家の別荘もあり、昭和の皇太子ご一家は毎夏いつも正田家所有の別荘で、正田ご夫妻と一緒に過ごしています。



>それにしても不思議でしょうがないのは
>皇太子ご一家の那須、須崎の御用邸での静養は叩く癖に、
>昭和の皇太子一家の軽井沢豪遊についてふれないのはどうしてですかね?

私も本当にそう思います。
そして(このような嘘記事で平成の皇太子ご一家を叩いて安心するのは誰だろうか? 誰の不都合が隠れて喜ぶのだろうか?)とも思います。

軽井沢に一ヶ月以上行っていたと思います!

千ヶ滝プリンスホテルを借り切って、いっぱい遊んでいましたよ〜、明仁皇太子、美智子妃は。

「皇后 美智子さま」浜尾実著 平成8年発行 によりますと

「昭和39年夏、皇太子さま(当時は浩宮さま)の夏休みは、7月14日から始まった。ご一家は翌15日から、例年通り、軽井沢へ避暑に行かれ、私もお供した」
となっています。

7月の中旬、子供の学校が終わったらすぐに一家で「軽井沢のバカンス」スタートです。
それで、8月中旬の「定例記者会見」を同じ軽井沢でやっているので、確実に「一ヶ月間以上は軽井沢で静養」ですね。

「皇太子・美智子さなのご教育法」松崎敏弥著 昭和58年発行 によりますと

「大学進学を目の前にして、(浩宮さまは)この夏は軽井沢での避暑生活も早々にお切り上げになり、東京へお帰りになって、9月初めからの第一次選考テストにそなえていらっしゃった」
となっています。

つまり、8月の終わりの頃、息子が進学の勉強のために東京に帰っても、両親である「明仁皇太子・美智子妃」は、まだ避暑をしていたわけです。そうなると「7月中旬から8月いっぱいまで、軽井沢生活」だったのでしょう。

まったく「昭和の皇太子は、気楽な商売ときたもんだ!」
それでもって、キャベツ畑にまでハイヒールで出かけてモデル立ちしていたのが、「消費は美徳の時代の仇花、昭和の皇太子妃」でした。

自分が子供の時代に、親が何をしていたか、それを祖父母がどう許していたかを知っているのに。その両親が、まったく前のことを知らんぷりして、今の自分たち(皇太子一家)の質素な静養に嫌がらせるする事をじっと我慢しなければならない。
今の皇太子殿下が感じる不条理はいかほどのものでしょう。

昔の学習院では、夏に軽井沢で避暑するおうちが多くて、庶民の私はちょっと淋しい気もしましたが、でも、みんな2週間くらいでしたよ。それにお父さんは途中で東京に帰って仕事していたし。
一ヶ月以上父親も行っていて、さらに、息子の受験があっても、母親は避暑地で遊んでいるって言うのは「昭和の皇太子夫妻だけ!!!」だったです。

ガミガミ言うのは国民じゃなくてマスコミ

昭和の国民も平静の国民も、べつに皇族のご静養にあれこれ言わないと思います。

ぎゃあぎゃあ騒ぎ立てているのは国民じゃなくマスコミであり、皇室評論家であり、その後ろにいるりょーへーかだと思います。

リョーヘーカご自身が自分は良いけど他人はダメという狭量主義者だからね。仕方ないのかも。

例年通りの長期滞在

バカンスばかり、という批判をかわすためのアリバイ工作じゃないのでしょうかね、記者会見。新聞によりますと、昭和の皇太子家の夏のご静養はこんな感じ。


昭和34年 8/14-8/17 那須御用邸(皇太子のみ)
     8/22-8/27 軽井沢(皇太子のみ)
昭和35年 7/18-7/29 軽井沢(皇太子夫妻のみ帰京)
     8/10-7/30 軽井沢
昭和36年 8/7-? 那須御用邸(東久邇成子さん逝去のあと)
     8/28-9/8 軽井沢
昭和37年 8/2-8/7   沼津御用邸
     8/10-8/30 軽井沢
昭和38年 7/8-8/31   軽井沢(美智子妃流産のあと)
昭和39年 7/15-    軽井沢(皇太子と浩宮のみ)
     7/25-8/11  軽井沢
     8/14-9/4  軽井沢
昭和40年 7/21- 9/8 軽井沢(8/2-8/8 岡山、那須)
昭和41年 7/25- 9/3 軽井沢(7/29-8/11青森、8/21-8/25鳥取)
昭和42年 7/17-7/19 那須御用邸
     7/22-8/25 軽井沢
昭和43年 8/11- 8/31 軽井沢
昭和44年 8/4- 8/30  軽井沢
昭和45年    不明(浜名湖とか、万博に行ったり)
昭和46年 8/7- 9月上旬 軽井沢
昭和47年 8/7-9月上旬 軽井沢 

このころになると、子供たちも大きくなり別行動が増えてくる。
以下、くたびれたのではしょります。

昭和52年 不明 
昭和54年 不明
昭和55年 8/5-?      軽井沢

昭和61年 8/7-8/24   軽井沢
昭和62年 8/7-8/13   軽井沢
     8/16?-8/30 軽井沢

ご夫妻は今月後半にも軽井沢滞在を予定されており、例年通りの長期滞在となる。しかし、今夏は浩宮さまが軽井沢に入られる予定が無く、先月二十四日から軽井沢に入られていた礼宮さまも、東北旅行のためにこの日帰京されてすれ違い。紀宮さまが十日から十三日までご一緒に滞在されるほかは、例年になく親子別れ別れの「夏休み」となりそうだ。(朝日新聞昭和62年8月7日夕刊)

例年通りの長期滞在

「美智子妃」 河原敏明 著  講談社 刊

(昭和62年10月12日 第一刷発行)



120 p

附属邸は海ぎわながら細長い庭にはスロープがある。
その木立に三脚を立て、キャンパスに絵筆を揮ったり(時には父 英三郎と並んで画策を立て)、

===================

これは、智子妃がブドウ胎児の処置なども重なりノイローゼになり、葉山御用邸で静養していた時の話です。

流産という非常事態からノイローゼになって静養している時とはいえ、天皇家の人間しか使用できないはずの御用邸に、正田英三郎という、実父であれ、一般民間人が足を踏み入れ、皇太子妃と共に過ごす事ができていたという事です。

昭和の明仁皇太子と美智子妃は、夏になると毎年のように御用邸ではなく軽井沢に長期滞在し、附属邸での静養中には実父が側にいたという、かぎりなく公私混同をしていたと断言しても良いかと思います。
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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