平成になっても軽井沢で過ごした両陛下

auxilia さまからのコメントで平成になっても今上陛下は軽井沢に滞在していたことが判明しました。


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1990年 8月9日号  『週刊新潮』
天皇ご一家の「夏休み」が今年も西武の「別荘」なので

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1990年の天皇ご一家とは現在の天皇ご一家、つまり、今上天皇と美智子皇后、浩宮徳仁親王(現・皇太子徳仁親王:立太子礼は1991年2月23日)、紀宮清子内親王です。
(※ 1990年6月29日に文仁親王と紀子さんが結婚され秋篠宮家の創設となったので、1990年8月の時点で秋篠宮ご夫妻は正確には天皇ご一家ではありません。)

このような記事が出たと云う事は、新しい天皇ご一家は、昭和時代から「夏休みは御用邸ではなく、民間企業が所有する別荘で過ごしていた。」と云う事を、当時は、正確に記事として表しています。

現在の皇太子ご一家が御用邸ではなく民間企業が所有するホテルに滞在されるのは、せいぜいスキーをされる時だけではないでしょうか。

「現在の皇太子ご一家は毎年のように軽井沢に滞在する。」と、故三宅久之氏や勝谷誠彦などが、わざとなのか、誤解しているのかは分かりませんが、ともかく悪意に満ちた表情で事実とは全く違う発言をし、それが事実を知らない人間を勘違いさせ皇太子ご一家をバッシングすると云う状況を生じさせました。

軽井沢には小和田家の別荘があるそうですが、正田家の別荘もあり、昭和の皇太子ご一家は毎夏いつも正田家所有の別荘で、正田ご夫妻と一緒に過ごしています。


うーむ、平成になっても皇太子時代の気分が抜けていなかったのでしょう。

平成もまだ初期のころだったからマスコミも昭和天皇の古き良き時代のままだったのでしょう。

それにしても三宅、勝谷の2人は何を勘違いしているのでしょうか?

そんな余計なこと言うと、

「えっでも、今の皇太子一家ってスキーぐらいしか民間のホテル使ってねえぞ。だれかと勘違いしてるんじゃないか。誰だろう・・・」

と思う人が出てくるんじゃないかね。

三宅、勝谷のような人間がいるから最近の若いネット右翼は「皇太子一家=遊んでばっかり」と洗脳されちゃうんだよ。

あーもー、本当に平成って嫌な時代!

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美智子さまのテニスウェアはミニです。

今の天皇と美智子さまは平成になっても軽井沢で過ごしています。

その時の様子を、美智子さまがミニスコートでテニスしていた様子がテレビで流れました。
美智子さま? もちろん生足です。

美智子さまは白い太腿を大胆に出してらっしゃいました。

今でもその写真は検索すれば、あちこちで見られると思います。

決して若いとは言えない年齢なのに、太腿を大胆に出してテニスをする美智子さま・・・・・自信があるのか。羞恥心が無いのか。見せたがり屋なのか。露出狂なのか。
どういう神経をしているのでしょうね。

西武・千ケ滝プリンスホテルって「黒すぎる」

夏に1ヶ月半の静養、御用邸以外を使用・・・、というだけで、明仁皇太子〜天皇、美智子妃〜皇后は、充分すぎるワガママを押し通していたわけですが。

その滞在先がずっと「千ケ滝プリンスホテル」だったのも、問題だったと感じます。それは何故かと言いますと。

1:西武という1つの企業と関係が深すぎる。

2:西武グループを作った堤康次郎が相当に強引な実業家で、人物としても、女性関係がめちゃくちゃで、姉妹3人を妾にして子を産ませたりと倫理観がまったく無い。

3:千ケ滝プリンスホテルは、もともとは旧皇族の朝香宮家の別荘。
プリンスホテルは、堤康次郎が、戦後に皇室離脱で困窮した旧皇族や華族の土地を買収して作ったもの。しかし、急激なインフレを見越しながら分割で支払うなど、やり方に酷い面があった。

東京プリンスホテル・・・徳川家霊廟跡
品川プリンスホテル・・・毛利公爵邸跡
大磯プリンスホテル・・・吉田茂元首相邸跡隣
軽井沢プリンスホテル・・・元根津嘉一郎別荘
千ヶ滝プリンスホテル・・・朝香宮沓掛別邸跡
高輪プリンスホテル貴賓館・・・旧竹田宮邸跡
新高輪プリンスホテル・・・旧北白川宮邸跡
横浜プリンスホテル貴賓館・・・東伏見宮別邸跡
赤坂プリンスホテル旧館・・・李王家邸跡

4:ちなみに千ケ滝プリンスホテルの敷地は、大阪ドームより大きく、東京ドームの70%くらいの三万六千平方メートル。贅沢です。

・・・・こう考えると、例えば香淳皇后など、旧皇族・家族にご親戚が多い人は、「堤康次郎」と聞いただけで鳥肌が立つほど嫌だったとしても、不思議ではないように感じます。
でも、そんなホテルで遊ぶ息子とその嫁に、何も言わずに我慢されていた。

そのように「超我流」を押し通していたくせに、明仁皇太子&美智子妃は、昭和の時代は、旧皇族華族に苛められたと言って彼らを悪者扱いし。

一方で平成になったら、昭和の豪遊を無かった事にして「質素」「伝統」と言い出し、常識的な事しかされていない皇太子ご一家を悪者扱いする。

どんだけ性格悪いんでしょうか!!!

ちなみに、昔、夏休みに軽井沢に行く学習院のお友達は、その多くが「旧軽井沢」の場所に、そんな贅沢ではない別荘を持っていました。明治時代に英国公使館の別荘などが置かれて、そこから発展した初期の軽井沢は「旧軽」なんですね。

千ヶ滝は旧軽井沢から離れているんですよ。正田家の別荘はそちらにあったのかな? これも美智子流なのかも・・・。

追記 

「華族様に負けない育て方をしてきた」と正田のお母様が言ったとか。
なんでそんな喧嘩腰なのかなあ。

夏休み1つにしても、「御用邸は使わない」「旧華族ほかが、以外に地味に夏休みしている旧軽井沢では過ごさず、堤康次郎の接待を受ける」、これも喧嘩腰ですよねえ。

皆んな知ってる

ヘカテーさま

こんにちは。リボンの騎士のサファイアです。お見知りおきを。

正田家⇒軽井沢別荘
小和田家⇒軽井沢別荘

川嶋家は…?あ!スミマセン。
皇太子妃ではないですね?態度が態度なので間違いそうになった(笑)

昔々。「誰も知らない」
と言う映画がありました。

『あの女。顔変わった。皆言ってる
男の子産んでから酷い態度だよね?
3DKだか何だか知らないけど。普通
そんなとこから嫁ぐ?恥ずかしい。
雅子さまと格が違い過ぎる』
あの女=キコ。

『雅子さまはお父様が外交官。
雅子さま自身も外交官』

「雅子さま外交官試験トップ合格しましたよね?」⇔うろ覚えながら私質問。

『知ってる!新聞みたもの!』
更に弾丸トークは続く。

『』ドラックストアスタッフ談。
TVや新聞殆ど見ないそうですが!

あの女と雅子さまのギャップは肌で感じているようです。

皆言ってる!知ってる!んですよ
雅子さまの優秀さを。

アンチは「誰も知らない」




故三宅久之のトンデモ発言(怒)

死者を鞭打つものではないけれど、晩年の三宅久之の発言は本当に酷いものばかりだった。
認知症が入っていたと思われるほど、ウソの発言が多かった。

故三宅久之の「現在の皇太子ご一家は毎年のように軽井沢に滞在する。」というウソ発言だけでなく、これが社会部記者だった人間が言う事なのかと耳を疑ったトンデモ発言がある。

それは小和田恒氏についてであるが、故三宅久之は
「やりたいで~すって言って挙手をして国際司法裁判所の所長になった。」
と発言したことだ。

三宅久之は社会部記者だったのだから、
国際司法裁判所に勤務できるということは、どれほど難しいことか、日本国にとって日本国民にとってどれほど名誉なことか、分かっているはずだ。

なのに三宅久之は「手を挙げてなった。」と、あまりにも馬鹿すぎる発言をした。
そしてそれを訂正もしなかった辛坊某。やしき某。某テレビ局。

死者を悪くは言いたくないけれど看過していい話ではない。

三宅久之の「手を挙げてなった。」という発言は、日本国と日本国民を侮辱するだけでなく、国際法でもって紛争を解決しようとする世界をも軽蔑したものだと断言していい。


それでも紀宮との縁談は拒否された

40代後半の私の世代からすると、美智子さんと言えば「軽井沢」、「テニス」でしたし、昭和の皇太子ご一家の長期に及ぶ軽井沢バカンスは、毎夏の定番のニュースでした。

ただ、学生時代までの私は、てっきり、軽井沢にも那須や葉山のように皇族専用の御用邸があり、そこで過ごしているものだとばかり思い込んでいました。

この軽井沢静養時の「千ヶ滝プリンスホテル」が、普段はホテルとしては全く営業しておらず、昭和の皇太子ご一家がバカンスを過ごすひと夏の間だけ特別に営業するということを知ったのは、ある程度大人になってからでした。
非常に驚きました。

この「千ヶ滝プリンスホテル」は、平成になってからの美智子皇后バッシングではどのメディアでも必ず取り上げられ、恰好の批判のネタになってました。


それにしても、夏の間だけ、しかも客は明仁・美智子の家族だけなんて、滞在時のホテル従業員やコックなんかは、その時だけの特別出張だったのでしょうか?
こんな営業体制で、ホテルの維持管理コストはどこから捻出していたのでしょうか?
そしてなにより、ホテルに対して皇室サイドは料金を払っていたのでしょうか?
(この支払いが不透明だとかいう記事があったような・・・)

どう見ても、特定業者との「癒着」以外の何物でもありません。


西武鉄道が、戦前の旧皇族の宮邸を次々に買収し、プリンスホテルグループを築き上げたのは周知のことです。

また、プリンスホテルが平成の初期頃から、今上の妹の島津貴子さんを特別アドバイザー(非常勤の取締役)として迎えていたのも、当時マスコミで大きく取り上げられ、話題となりました。

昔から皇室ブランドへの関心が高いことで知られる西武の堤家が、更に皇族への接近をも図っている、と言われたのも当然のことでした。

しかしそれでも、それでも紀宮との縁談だけは受け入れられなかったんですね。

今上夫妻が、軽井沢での数十年に及ぶ「癒着」や、今上の実妹とプリンスホテルとの関係から、堤家の子息との縁談はかなり可能性があると思っていたとしても不思議ではありません。

この婿候補と言われた方は、周囲の説得にも屈せず、断固拒否したそうですが(泣いて嫌がった、と報道されたのはこの方でしたっけ?)、この縁談が成立していたら、現在の皇室のありようも、少しは違ったものになったかもしれません。

そしてなにより、西武の堤氏が、帳簿上の虚偽記載で逮捕され失脚するということも、おそらく無かったでしょう。

今上夫妻、恐るべし!

軽井沢では

はじめましていつも楽しく、胸のすく思いで拝見しています

軽井沢とは直接関係がないのですが
少し前になりますが、関西ローカルの早朝の番組で、シャーロット王女が誕生でイギリス国民歓喜のニュースを取り上げていていました

男性アナ「イギリス王室は国民と近いですね。親しみがもてるというか。
同じように考えてはいけないのですが日本の皇室はイギリスと比べると国民と距離がありますね」

コメンテーターの政治評論家I氏
「僕は子供の頃からずっと葉山に住んでいて、葉山には御用邸もありますけど今よりも昔の皇室の方がずっと近い存在でしたよ

男性アナ「(驚いた表情で)意外ですね」

政治評論家のI氏は60代半ばの年齢なので昔の皇室=昭和天皇なのでしょう

男性アナウンサーは30歳くらいで関西在住なので東京や御用邸周辺にお住いの方々のように
今の両陛下や皇族の方とじかに接する機会はないので
テレビや紙媒体の宣伝する「美智子さまによって開かれた皇室」
「平成皇室は国民とともに」「昭和よりも親しみのある平成の皇室」と
騙されて信じていたのでしょう。
男性アナウンサーだけでなく関西、日本全国そんな人は多いとおもいます。

I氏のコメントからは今の皇室、両陛下はあまり葉山では親しみを持たれていない、好かれていないことが感じられました。

軽井沢では好かれてたのでしょうか
周辺の住民の方や、別荘に滞在されていた方々はどんな目で
昭和の皇太子夫妻を見ていたのか知りたいです

※私はあまり好かれていなかったと思います

大江春D さま

はじめまして

管理人のヘカテ―です。

よろしくお願いします。

>今よりも昔の皇室の方がずっと近い存在でしたよ

警備も少しゆるかったこともあるのでしょうが、

私も葉山に住んでいて御用邸のことをちょっと知っている80代女性が

「昭和天皇はすぐ隣にいた天皇」

と仰っていました。

(その女性はお父上が勲章授与された芸術家、御主人は医者という方でした)

平成育ちの私から見て

リョーヘーカのこと「質素」とか「清貧」などと思ったことはなかったです。
ちなみに皇室に興味がまるでなかった頃の感想です。
もっとはっきり感想を言うなら「着ているものも所作も貧乏くさい人達」でしたよ(笑)

懐妊テロからネットなどを見るようになり、リョーヘーカがことさら「質素」「清貧」などを売りにしていると知って驚いたほどです。
「え、そんなに無駄遣いしてんの?この貧乏くさい人達??」と、逆に疑問に思う始末。
雉も鳴かずば打たれまいとはこの事かと思ってしまいましたよ。

ヘカテーさまの記事や皆様のコメントを読ませていただいて、質素清貧アピールをしまくる背景をまた一つ知る事ができました。ありがとうございます。

昭和63年8月15日昭和天皇最後の御姿

週刊文春 1988年09月01日 グラビア
昭和63年 皇室の夏 ※全国戦没者追悼式にご臨席になるため那須からヘリコプターでお戻りになった天皇陛下、軽井沢千ヶ滝プリンスホテルに滞在、皇太子ご夫妻

ヘリに乗り込まれる昭和天皇の写真を見ましたが、ずいぶん痩せておられました。


1988年夏、天皇陛下は「発熱が8月から断続的に相次いでいること、体重の減少や体力の衰えなど、気遣われる点も少なくない。」状態であった。

1988年08月10日 皇太子ご夫妻、軽井沢へご出発
1988年08月20日 「陛下お元気で安心 皇室警備は視野広く」
               皇太子ご夫妻語る
1988年08月25日 田沢吉郎・新防衛庁長官の認証式のため、
              24日に一時帰京(註.国事行為臨時代行中)
1988年09月02日 皇太子ご夫妻那須へ (4日までの予定)
1988年09月07日 6日から12日まで皇太子さま軽井沢へ
1988年09月12日 皇太子ご夫妻、軽井沢より帰京

9月19日、昭和天皇吐血、重体に。
つまり、天皇陛下が(すい臓癌であることは秘匿されていたが皇太子は知っていたはず)心配な状況なのに、民間のホテルで長期静養していたのです。ちなみに、礼宮は8月から英国留学、浩宮は17日から合流。

1988年08月04日 皇太子ご一家、日光へ 礼宮さま留学前に水入らず
1988年08月06日 300人がお見送り 皇太子ご一家ご帰京 栃木
1988年08月07日 甲子園で始球式へ 浩宮さま、熱心に練習
      (多忙な日程の合間を縫って東京・元赤坂の東宮御所で投球練習)
1988年08月08日 始球式、惜しくもワンバウンド 浩宮さま 全国高校野球          開会式
1988年09月03日 浩宮さま京都へ(国体夏季大会開会式出席)


今年も夏になったら、陛下が国民のために働いておられるのに皇太子は遊んでばかり、という記事が出るのでしょうが、ああいう記事が腹がたってしようがない。三宅とかバ勝谷以外にも、緑帽子とかバ神田とか、自称皇室ジャーナリストがひどいことを言っているが、どうして調べたらすぐにわかるウソを書くのかな、と常々思っています。女性週刊誌なんか相手にすることはないのだけど、こんな感じ(お噂から拾って来ました)。

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女性セブン 2012年9月27日号

一方、両陛下はこの夏も”国民のために”精力的に、その責務を果たされている。 8月15日の終戦記念日には、全国戦没者追悼式にご出席、戦争の犠牲となった人々、さらにその遺族に対して追悼の意を示され、平和への祈りを捧げられた。
一方の皇太子ご一家は、ご静養中は一切の取材をNGとしており、公私をきちんと分けられている。
そんな皇太子ご夫妻と比較して、前出の神田氏は、皇太子時代の両陛下のこんなエピソードを明かしてくれた。
「当時、私はテレビ局(※テレビ朝日)の宮内庁担当記者でした。
皇太子時代の両陛下も、毎年、夏はお子さま方とご一緒に、軽井沢のホテルに滞在して過ごされました。およそ1週間から長くて10日ほどだったでしょうか。←★
ただし、その期間は全く私的なご静養というのではなく、陛下はその期間中も、われわれ宮内庁担当記者たちを軽井沢に呼んで会見を開いていました。その会見の内容は、軽井沢の自然、環境、物産、地元の人々との交流など多岐に及び、記者たちにとっても充実した時間になったことを覚えています。
ご静養中といえども、国の公費で休暇を過ごしていると考えられた両陛下は、国民に対して今、自分たちが何をしているかを、自らの言葉できちんと説明されていたのでしょうね」
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昭和の時代から、終戦記念日の追悼式に出席するのは天皇だけで皇太子は出席していないし、今の皇太子ご一家は公私をきちんと分けられて静養中は取材NG、になんの問題があるのか? 普通のご家庭でも子供がいたら夏休みに旅行に行ったりするでしょう。

Re昭和63年8月15日昭和天皇最後の御姿

私も言いたいさん。
現在の両陛下が皇太子ご夫妻だった時の、驚くほどの豪遊ぶりを明記してくれて感謝します。

私も昭和半ば生まれなので、今の両陛下は皇太子ご夫妻だった時、夏はいつも軽井沢で過ごしていたのをリアルタイムで知っています。
ニュースで放送されていましたし新聞にも雑誌にも書かれていました。

美智子さまはいつも綺麗な服で軽井沢で滞在していました。そしてテニスをしていました。

それらをリアルでは見ていませんが(我が家は軽井沢に別荘など持っていませんでしたので。)ニュースで放送されていたから知っているのです。

そして平成になった今、両陛下は、お慎みの日だの、質素だの、私的に旅行したことはないだの報道されていますが、そんなのウソですよね。
今の皇太子ご夫妻は、今の両陛下の時に比べたら、そこまで質素にしなくてもいいのに。今は私のような庶民でも海外旅行に行くのに。と思うと同時に、なぜ今の両陛下は御自分達が軽井沢で遊んでいた事を黙っておられるのだろうと不思議でなりません。

そして、今の両陛下の遊びぶりを知っているはずの、私よりも年長の皇室評論家が、両陛下よりも質素すぎるほど質素な皇太子ご夫妻を非難するという摩訶不思議。

考えたくありませんけれども、今の両陛下が皇太子ご夫妻に悪意を持って対応していると思えてなりません。


17歳のときから軽井沢長期滞在

昭和半ばの生まれさま、
読んでいただきありがとうございます。私の作った軽井沢豪遊記録は中途半端なものだったので、決定版を作ってさらしたい衝動にかられますが・・・ ほんとうに、どこらへんが「質素」「清貧」なんでしょうか。後ろめたいものがあるからに違いありません。

ところで、ご成婚の昭和34年、身重の皇太子妃を置いて1人で軽井沢に出かけたらしい昭和の皇太子が気になっていたのですが、千滝プリンスホテルに初めて滞在したのは、昭和25年、17歳のときだったようです。以後、ほぼ毎年1ヶ月以上の軽井沢滞在。身体でも弱かったんですかね(爆)


昭和25年
8/2-9/? 「軽井沢千滝プリンスホテルに到着、約1ヶ月間滞在」
昭和26年
8/4-9/3 軽井沢
昭和27年
7/19-8/7 那須
8/7-9/6 軽井沢
那須御用邸に約20日間滞在された皇太子様は、7日午前8時半
     那須御用邸をご出発、自動車で長野県軽井沢へ向われた。
昭和28年
3月30日から10月12日まで訪欧
一億一千万円と決定 皇太子さま一行の旅費_皇太子殿下御渡英
10/20-10/29 軽井沢
昭和29年
7/16-8/1 軽井沢
     8/1-8/6 那須(天皇陛下お見送り、戦後巡幸の最後、北海道巡幸)
8/6-9/10 軽井沢
昭和30年
7/23-9/10 軽井沢
昭和31年
8/4-9/8 軽井沢 「9/8, 40日ぶりに帰京」の記述あり
昭和32年
7/31-9/5 軽井沢
昭和33年
8/1-9/6 軽井沢
昭和34年
8/14-8/17 那須御用邸(皇太子のみ)
8/22-8/27 軽井沢(皇太子のみ)

私も言いたい様

>私の作った軽井沢豪遊記録は中途半端なものだったので、決定版を作ってさらしたい衝動にかられますが・・・


これだけお調べになるのは大変だったと思いますし、貴重な資料だと思うので、表か何かにまとめて決定版をお作りになってはいかがですか。

ご自身のブログやその他、こちらのような東宮家支援の皇室ブログなどにでもアップなさったら、我々もとても参考になります。

それに、神田氏などの週刊誌の捏造コメントも一緒に掲載すると、マスコミ報道への客観的な反証ともなるでしょう。

なかなか、具体的な事実関係の資料を集めるのは面倒ですよね、ネットだけでは難しいですし、やはり過去の紙媒体の情報が確実です。

私も、雅子さまのお元気だった頃の公務の状況を知りたいと思っているのですが、なかなか行動が伴いません。

それにしても宮内庁のHPは意地悪ですね、お倒れになった年からの分しか掲載がないのですから。
誰の差し金か、言わずもがなですが。

今年の夏は叩かせない

昔の女子大生さま

お励まし、ありがとうございます。そう言ってくださる方がお1人でもいらっしゃれば・・・がんばってみます。。。今年の終戦記念日頃までに。

実は、紙媒体を丹念に、なんてことはしていないのですよ。私はいつも端末の前でガチャガチャと、ネットからひっぱって来ているだけです。朝日新聞もデータベースがあるので、年月日の範囲指定をして、「皇太子」と検索キーをたたいているだけ。カチャカチャとやって、平均10分、どんなに長くても1時間、いつも書き殴り。ご迷惑をおかけしています。

完全版となると、紙媒体もきちんとチェックして各紙も各誌も照合しないといけませんね。はああ、できるかなあ?


プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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