物忘れなのか「老人特有の症状」なのか・・・

いんたーねっと・さーふぁーさまから戴いたコメントが日本国民として気になる。

那須町ネタで、こんなのあったおwww

皇室:両陛下10年ぶり再訪 那須・千振開拓地 入植者らと懇談 /栃木
http://mainichi.jp/feature/koushitsu/news/20150721ddlk09040059000c.html


>陛下は出席した7人の入植者らに一人一人、満州からの来歴を尋ね、「大変だったでしょう」と声をかけた。

>懇談に出席した玉田貞喜さん(88)は「一度来るのも大変な所に二度も来られ、よほど印象に残ったのだとうれしかった。10年ぶりの陛下は.........

玉田貞喜さんは10年前、陛下に会ってて今回2度目の御対面。
だから「10年ぶり」と言った。

対する陛下は、10年前に会って懇談しているはずなのに「入植者らに一人一人、満州からの来歴を尋ね、「大変だったでしょう」と声をかけた。」という行動をとっている。

もしかしたら陛下は認知症になってて、10年前に会ってるのを忘れていたりして。
認知症になってないけど、前回どんなことを聞いたか覚えてないから、今回も満州からの来歴を聞いたりして。

似たような話で皇后バージョンがあるおwww

美智子皇后は、京都かどこかのレストランで出されたドレッシングが気に入って、シェフにレシピをメモしてもらった。
それを美智子皇后は持ち帰った。

再び、そのレストランで食事をした美智子皇后のために、そのシェフは同じドレッシングを出したら、美智子皇后はまたしても「ドレッシングのレシピを知りたいわ。」と言ったので、そのシェフは再び、そのレシピをメモしたものを美智子皇后に渡した。
______________というのを、そのシェフが皇室特別番組で話してたおwwwww

夫婦そろって物忘れが激しいみたいだおwwwww
夫婦そろって老人外来へ行って診てもらうべきだと思うおwwwww


まあ、あれだけ日本中ぐるぐるまわってりゃ忘れますって!

それよりも美智子さまがちょっと気になる。

味がわかんないのかな?
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タイトルなし

ヘカテー様、初めまして。
今年の春頃から、台所さんのリンクからたどり着いて読ませていただいている者です。
皆さんのような知識もなく狭い世界で生きている田舎者ですが、私の聞いたりした範囲でこれはと思うことがありますので、書いておきますね。

今上が学習院中退後に、本気で東大に入る気でいたのは事実です。
東大の某教授の元を、側近を伴って訪れています。
某教授は、入学するには試験を受けて云々と懇々と説明されて、当時皇太子であった今上も納得して帰られたそうです。
側近の人も困り果てた末に、某教授のところへ連れて来たのだろうと推察されます。
この話は、当時東大の学生であった人が実際に見聞きしたことですので確かです。
皇太子だから、東大でも「入りたい」って言えば無条件で入れてくれると思ってたんじゃないかなー。

常陸宮妃華子妃殿下の姉上は、今上のお妃候補でしたが、早々に他家へ嫁がれました。逃げたんですね。他にも何人もお妃候補に逃げられていますよね。
華子様のお姉様は、大変素直で大らかな性格の方で、婚家でも可愛がられました。
華子様が常陸宮妃に決まった時に、姉上の婚家が名誉なこととして、津軽家に代わってお嫁入りの支度一式を整えられた。


正田美智子さんが三島由紀夫に結婚を断られたと、2ちゃんの各スレで目にしますが、私が聞いているのとは違います。
三島が正田家に結婚を断られたのです。それも、「作歌風情にはやれない」と言われて。この言い草、まことに失礼極まりない。

正田家及び美智子さんは、結婚相手に学者や医者を希望していて、実際、そういったお相手を探して、今で言う結活をしていました。
そして、伝手を使い、ある一流大卒の若い医師と、パーティーで自然に引き合わせる、という段取りをしました。
それなりのお家のそれなりのパーティーですので、ふさわしい身なりが求められるその席に、美智子さんは、サージのフレアスカートにスクールセーターという服装で現れた。母子で考えた清楚なお嬢様のイメージが、パーティーにはこの上もなく不似合いな女学生スタイルだった。
結果は推して知るべしです。
他にもこんなことがあって、逃げた男性が何人もいたんじゃないでしょうか。

この二つの話は、その若い医師の親戚筋の方に学生の頃に母が聞いた話です。
「まさかあの人が皇太子妃に決まるなんて!」と驚くやら呆れるやらだったとか。

テニスコートの恋で有名になった軽井沢の人達にも、当時の正田母子は異様に映ったようです。
ご成婚後、地元の商店主が、「いかにも(皇太子を)狙ってる感じの母子だったけど、本当にお妃になるなんてねえ」と言っていたそうです。
これは母が直接聞いています。
結果として軽井沢の観光に貢献してくれたわけですから、表立っては言わないものの、母子の様子を見ていた人達は胡散臭く思っていたのですね。

悪い意味で似た者夫婦だと思います。わきまえない人達です。
目星をつけた人に逃げられてる同士ですし。

No title

ヤミ―さま、初めまして!
色々合点がいくお話有難うございます。

>華子様が常陸宮妃に決まった時に、姉上の婚家が名誉なこととして、津軽家に代わってお嫁入りの支度一式を整えられた。

あのころ津軽家は決して裕福とは言えませんでした。
そういった経緯があるのですね。
お姉さま、その婚家も素晴らしいです。上流のお家はそういったエピソードが無いと

正田家はつつましいと言うよりケチといった雰囲気が感じられていたのです。

>三島が正田家に結婚を断られたのです。

私も40年代、大人が話しているのを子供ながらそう聞きました。

>正田家及び美智子さんは、結婚相手に学者や医者を希望していて、実際、そういったお相手を探して、今で言う結活をしていました。

家も企業家、本人もブスではない(並以上の容姿)。どうしてお見合いが成功しなかったのでしょう。
お見合いなら、(見て子さんの性格など知る前に)断られていたのは
興信所の調べで難が有ったのではと思ってしまいました。
庶民でも結婚時は「聞き合わせ」が常識な時代でした。

>「まさかあの人が皇太子妃に決まるなんて!」と驚くやら呆れるやらだったとか。
>テニスコートの恋で有名になった軽井沢の人達にも、当時の正田母子は異様に映ったようです。
ご成婚後、地元の商店主が、「いかにも(皇太子を)狙ってる感じの母子だったけど、本当にお妃になるなんてねえ」と言っていたそうです。

比べるには格差があるkwsmさんと似たご家庭とやはり思ってしまいました。




軽井沢での正田美智子(未婚時代・婚活中)

>テニスコートの恋で有名になった軽井沢の人達にも、当時の正田母子は異様に映ったようです。



私も似た話を聞いたことがあります。


「正田美智子さんは福々しく綺麗なお嬢さんではあった。
でも、短いスカート姿のまま軽井沢じゅうを自転車を走り回るので、とても、はしたなく見えた。
本当の令嬢は、あのような姿で街中を出歩くことはしない。
成り上がりの娘さんだと思って見ていた。
ところが東宮妃になったと聞いて、とても驚いた。
皇室もお終いになると思った。」


あの当時、テニスをする時に脚を出すのは若い女性の特権だったでしょうが、本当の令嬢は、あれほどは脚を出していなかったので、正田美智子さんは本当の上流階級からは笑われていたようです。


何度も見合いで断られてる美智子さん

生前の三島由紀夫と非常に親しかった毎日新聞の徳岡という記者が、三島と美智子さんのお見合いについて、書いたり語ったりしてます。

どちらが断ったかについては、「どちらが断ったんですか、とは聞かなかったのだろう」とあいまいにぼかしてますが、文脈からいって明らかに、「やんごとない所に嫁がれた方」に気を遣って明確に書くのは控えた、という感じです。

つまり、三島が断ったと読めますし、また、確か対談のような所でも、そういう前提で話が進んでいたと記憶しています。
何より、美智子さんが断っていたら、そのようにはっきり書くだろうと思います。

一般的に、三島が断ったというのが定説になっているようですし、美智子さんが死んだら、もっと具体的な話がでてくるでしょう。

美智子さんと三島がそれとなく見合いをしたのが昭和32年。
三島は、翌33年の6月には、のちに文化勲章受章の日本画家、杉山寧氏の娘・瑤子嬢と結婚してます。
ちなみに三島の長女と皇太子殿下は学習院で同期のようです。


それから、ヤミー様のおっしゃる美智子さんの婚活、たしか竹山会とかいうお見合いあっせんの会というか、今でいうところの結婚相談所ですよね。
美智子さん、そういうところに入会して、お見合いを繰り返してお相手を探していたわけです。

私は、美智子さんが見合いをしていたのは知ってましたが、こういう会に入って婚活していたと知ったのは数年前です。
ところが意外にも、70代半ばの私の母は、大昔、何かの記事で読んで知ってました。
「ダンスパーティーなんかに出て、相手を探してたらしいね」と。
今でいう、お見合いパーティーですよ。

他にも、皇太子との婚約が決まった時、アメリカのタイムス誌に紹介され、その記事の中で、外交官や会社経営者の子息に縁談を断られていることが書かれています。

また聖心時代、グループ交際してた男性からも、「彼女は立派な女性で、男性にも完全を求めすぎるので・・・・」とかなんとかいう「典型的な断り文句」でふられていることも、確か若かりし今上についての本に書かれていました。


三島は後年、非常に右傾化し、戦後の人間宣言した天皇や、民主的で開かれた天皇制に批判的になっていきますが、その背景に、自分が銀座の小料理屋の2階でお見合いをして断ったような娘が、あろうことか皇太子妃になったことへの怒りと衝撃があったのではないか、という論文を読んだことがあります。


それにしても、23歳までにこんなに縁談で断られるって、どうなんでしょうね。
ちょっと太り気味ですけど、顔はそこそこ綺麗ですし、色白です。
余程、結婚のネックになることがあったのでしょうね。


それから、正田富美が高飛車に縁談を断ったのは、美智子入内後に、兄の正田巌氏の縁談で、それまで交際していた女性に対してのようですよ。
美智子さんが皇太子妃になったことで、兄の結婚相手もずいぶん変わったわけです。







朝から笑ったw

ヤミー様、はじめまして^^

>皆さんのような知識もなく狭い世界で生きている田舎者

何処がですか!!www
お話、全てびっくりしました!!(≧∀≦)
特に、常陸宮様に華子様を嫁がせても、チャブに長女は入内させないw
これって、立場の重圧が違うとかではないですよね?(長女が逃げたのに妹をと、再び皇室から希望される華子様のご実家も凄い!)
チャブ相手では苦労するという事でしょう?(^-^;)
全てのエピがリアルで生々しいです!

東大の集まりに、関係ない娘に白いワンピースを着せ、手作りクッキーを持たせた某教授を思い出しましたw
娘の売り込みに必死、でも方向性が変な所も似てたのですね、あの両家は。気が合う筈ですね。

朝から楽しませていただきました^^
どうも有難うございます♪
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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