おいおいおい、軽井沢が調子こいてるぞ、「皇室と縁がありまーす!」だって!

(軽井沢関係者並びに軽井沢を愛する人はお読みにならないことをお勧めします)

軽井沢

今上陛下と美智子皇后(以下M&A)の出会いの場

(偶然の出会いじゃないんだってね。
藤島泰輔が「軽井沢の上流社会って狭いから出会わないはずないんだよ。狙ってたんだよ」って暴露していた)

M&Aが毎年民間のホテルを貸切にして1か月以上バカンスしていた軽井沢

天皇陛下皇后陛下になっても「WE LOVE 軽井沢」

ヘカテ―が小っちゃい頃にワイドショーで「両陛下と軽井沢」みたいな特集してました。

チビだったヘカテ―は「皇室=軽井沢に行くもの」と認識していました。

読者の方から教えていただきました。

軽井沢観光協会公式HP

軽井沢観光協会公式HPの「軽井沢を知る」というコーナーにある

「軽井沢と皇室」

皇室とのかかわり
1878年(明治11)9月、明治天皇北陸東海御巡幸の際の行在所が、軽井沢と皇室との出会いのはじまりであった。
避暑地軽井沢が世に知られるようになったため、1923年(大正12)8月1日、当時の東長倉村大字軽井沢から軽井沢町へ町制施行した。同年8月17日から25日までの8日間、昭和天皇が大隈重信別荘に避暑滞在された。
昭和時代、第二次大戦の際には貞明皇太后の大宮御所(旧軽井沢)に疎開、正田美智子様(現皇后陛下)も当地に疎開され、軽井沢第一国民学校初等科5年に転入、戦後は昭和天皇皇后両陛下・皇太子同妃両殿下は軽井沢での避暑滞在が続き、三笠宮などの皇室の別荘建築、さらに昭和33年軽井沢でのテニスコートから、皇太子・美智子妃殿下のご成婚、そして浩宮、礼宮、紀宮殿下御誕生から皇室御一家を毎夏のようにお迎えして深い縁が続いた。
軽井沢町民は皇室との長い年月のかかわりを、この上ない名誉と誇りと喜びと感じ、心から御歓迎申し上げてきたところである。
ことに町民の心を打ったのは皇后陛下の御歌「かの町の」ではじまる夕すげの歌、これにつづいて東宮御所からの「アサマキスゲの種子」は町中にお分けいただいている。
軽井沢町民は、これらの歴史をふまえ、天皇皇后両陛下をはじめ、皇室の多くの方々が軽井沢での出会いを大切にされてこられた御心を拝し、いつの日にか安心してお使いいただける御用邸をぜひ軽井沢にと願っている。


(年表までついているので調べるのに大変助かる)

明仁皇太子は結婚前から軽井沢に来てたんですね。

「軽井沢と皇室」って言ってるけどガッツリ軽井沢と関わってるのって両陛下じゃん

三笠宮家は宮家だから御用邸が使えないという理由があり、別荘を持たれました。

M&Aは内廷皇族だから御用邸使えるね。

那須、須崎、葉山と3つもありまっせ。

↓こんなことしてたとは知らなかったぜ

昭和33年11月27日 皇太子妃御内定の報に、町長名にて皇太子殿下並びに正田家に祝電発す

軽井沢町ったら祝電贈ってたんだ。

ただ、徳仁皇太子殿下もご結婚前はプリンスホテル使ってますね。

ご結婚してから御用邸だけですね。

「ヤバい、皇太子殿下が軽井沢にお見えにならなくなった。大人気の雅子さまがお見えにならないと軽井沢としての立場が無い」とでも思ったのでしょうか。↓こんなことをしてたんですね。

平成9年4月9日 皇太子殿下御行啓要請・松葉邦男町長・井出精一議長が代表して宮内庁古川清東宮大夫宛 町内32団体長連名の要請書を持参要請する

必死だな(笑)

こんなことやってたなんて知ったら御用邸がある那須、須崎、葉山の人間が激怒するよ。

ただね、皇太子ご一家ファンとしては軽井沢って悲しい思い出がある場所です。

平成16年3月25日 皇太子妃雅子様長野県内の別荘(軽井沢町)で御静養

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そうです。

雅子さまが一番体調が悪くて軽井沢にある小和田家の別荘で静養されたのです。

体調があまりにも悪くて1週間の予定が1ヶ月になりました。

本当に悪くなるまでずっとほったらかしにされた結果です。

もしかしたら、ご結婚されてから初めての小和田家の別荘ご訪問だったのかもしれませんね。

だって、軽井沢なんて行くことがほとんど皆無だもの

軽井沢でのバカンス中正田家の別荘にいりびだりだったM&Aと違って、

軽井沢をご訪問されてません。

いつも那須、須崎、葉山です。

冬に長野でスキーをされるくらい。

本当に質素な生活をされているのは誰かを考えてほしい。

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(軽井沢に別荘があるということからも小和田家がエリート一家ということがわかりますね。あ、別に別荘どころか持家がない実家のあのお方をからかってるわけじゃござんせんよ)
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あら、いいこと聞いた!

>昭和時代、第二次大戦の際には貞明皇太后の大宮御所(旧軽井沢)に疎開

え、旧軽に大宮御所があったんですか?
貞明皇后の大宮御所といえば、今の東宮御所の場所にあったものしか知りませんでした。
へぇ。
じゃあ、次の御代に大宮御所が必要になった場合は、軽井沢に作ればいいんじゃないですかね。
あれだけお好きだった千ヶ滝プリンスホテルとかいかがでしょう。

もう、軽井沢から戻らずに大好きな軽井沢で骨を埋めればよろしいのに…なんて怒られますか。
何年か前に関西の番組で、今は亡き三宅先生が言ってましたが、雅子さまが実家の別荘で静養された時、ここまでなったら病気が治られるまでに相当の年数を要するだろうと。
塩爺も明るく聡明で本当に素晴らしいお嬢さんやったのに、なんでこんな事になったんや!と話してました
そう、全てはあの人達です。
ちなみに、キコさんのご両親の今の
住まいは新宿区の中古アパートだったような…ボーっとした坊やが産まれた時に、近所の変なおばちゃんが汚い中古アパートの前でカッポレを踊っていたような…間違えていたらゴメンなさい。
ついでに、有名ですがキコさんの親戚は大阪の大正区でホルモン屋をしています。
じゃあ真っ直ぐ立てない今のところ将来の天皇は、ホルモン天皇!
長い歴史の中で、ホルモン天皇ってどうよ。

昭和天皇と軽井沢

>戦後は昭和天皇皇后両陛下・皇太子同妃両殿下は軽井沢での避暑滞在が続き

とあるので、え、ホント?と年表を見てみますと

>22年10月7日 昭和天皇 甲信地方御巡幸の折、東小学校校庭で御奉迎・大日向開拓地御視察
>30年7月25日 昭和天皇皇后両陛下 皇太子殿下の御避暑先を訪問
軽井沢プリンスホテル(千ヶ滝)に御宿泊、28日まで御一緒にお過ごしになられた
25日午後1時50分御召し列車 軽井沢駅到着⇒プリンスホテル(千ヶ瀧)
夜 地元沓掛区民提灯行列。両陛下・皇太子殿下手に提灯を掲げ、
御門までお出ましになられた
26日お三方で鬼押出し御見物 原東大助教授の御案内で植物御採集
浅間牧場で御昼食の後 東大浅間火山観測所御見学 水上教授御説明
27日三笠宮別荘御訪問の後 佐藤不二男町長の御案内で碓氷峠見晴台御見物
(午後)地蔵ヶ原で植物採集 原東大助教授御案内
28日(午前)御宿裏の鱒池で魚釣りに興じられる


なんだ、二回だけじゃないですか。
戦後昭和天皇と香淳皇后さまが軽井沢にいらしたのは。

それにしても明仁さまは、
>25年8月2日 皇太子殿下軽井沢(千ヶ滝プリンスホテル)で御避暑
>*昭和63年まで毎夏御避暑・28年は秋に御来軽

軽井沢好きですなあ。

東宮ご一家いらして~

軽井沢的には、平成の東宮ご一家に来ていただきたくて仕方ないのでしょうね。
でも、毎夏、民間ホテルを丸ごと借りて静養していた昭和の東宮ご一家のほうがおかしいのです。
それと、学習院の水泳は平泳ぎと古式泳法です。クロールなんてメインではありません。古式泳法です。
皇族は初等科6年の夏に遠泳をするのが通過儀礼です。皇太子様、秋篠宮、赤いクラシックパンツで「国民の血税で、ここまで成長しました」と遠泳なさいました。
愛子様は女の子ですから水着は非公開ですが、遠泳はクリアされました。
中等科2年のこの夏は、見事に3キロ泳がれました。
皇族の通過儀礼です。
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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