ツッコミどころだらけだよ!『美智子皇后物語』 その1

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ここ数日忙しくって更新できなかったヘカテーです。

あのね、職場の女性スタッフ同士が喧嘩して一人が来なくなっちゃったの。だもんで一番融通が利く独身のヘカテーがシフト大変更されて大変でした。

子どもがいるパートの女性スタッフまでもが残業しなきゃならない位忙しいです。

さーて、今日はこの本を紹介します。

美智子皇后物語

(鎌倉市の図書館を通じて横須賀市の図書館から取り寄せてもらった。昭和天皇と徳仁皇太子ご一家ならガンガン買いまくってますが、平成4人組の本はたとえ中古でも買いたくないので取り寄せになった)

文月今日子先生は面白い作品を描く漫画家なので大好きですが、この本の原作者が美智子教信者の河原敏明氏なので、平成皇室ウォッチャーのヘカテーと看過できない所がめちゃくちゃあった。

なのでカテゴリーを独立させました。

じゃあ突っ込んしゃうぞー!

①美智子さまは優秀な成績だった

正田美智子嬢 父正田英三郎氏は

ヘカテ―も美智子さまは主席だと信じていました。
いや、美智子さまの聖心女子大学時代の成績表が公開されていますが、BどころかCもあるよ。
はっきり言って普通です。
卒業生代表に選ばれたものプレジデント(要するに生徒会長のような地位)だったから。
ガチで成績優秀だったのは雅子さまですね。

②明仁皇太子と正田美智子嬢は恋愛結婚

美智子さまと明仁皇太子は恋愛結婚と言われていますが、違います。
佐伯 晋氏はこう仰っています。

恋愛関係はなかったと、公式の場で、少なくとも2回、当時の最高責任者である宇佐美宮内庁長官は、言い切っています。
一つは、婚約発表のときの公式会見ですね。皇室会議で宇佐美さんは、自分の方から「皇太子様が、正田嬢とテニスコートで数回お会いになったことはあります。しかし、世上で一部に噂されたような、恋愛関係はない。」と、はっきり言っています。あの結婚は公式的には、恋愛関係ではなかったことになっているわけです。
それからもう一つ、これは、婚約が発表されて、ご成婚になるまでの間、昭和34年2月6日衆議院の内閣委員会、ここで自民党の平井義一代議士が、宇佐美宮内庁長官に向かって「新憲法のもとで、恋愛は自由だ。皇太子も人間だから恋をする、とおっしゃる。しかし国民の象徴が、自分のしたいことをしても、国民は尊敬するでしょうか。いろいろ探したが無かった、民間からもらっていただきたい。」と。さらに平井代議士は「あなたから進言されたのならいいが、伝え聞くように、皇太子殿下が軽井沢のテニスコートで見初めて、自分からいいというようなことであったとするならば、我々の子どもと変わりはないではないか。そういうことで、国民の象徴として尊敬されると思っているのか。」と質問。
それに対して宇佐美長官は、「殿下は非常に慎重な方で、ご自身の義務については、はっきりした考えをお持ちだ。世上、一昨年(昭和32年)あたりから、軽井沢で恋愛が始まったように伝えられているが、その事実は全くなく、テニスを一、二度なさった程度のことです。昨年(昭和33年)の春頃から、いよいよ何人かの候補者に絞り、そのうちから我々もご推薦申し上げ、殿下もご冷静に観察なさって、ご決心になさった。世上に伝わるような浮ついた態度というのは、実際に全然、認めることはできません。」と、こう答えていますね。
要するに、恋愛関係はなかったと、ここでも断言しているわけです。この世間一般に長らく信じられている「恋愛結婚だった」ということは、公式の場で、二度にわたって、責任者である宮内庁長官が否定しています。


そもそも皇太子妃候補がどんどん結婚してしまったというのも大きかった。
常磐会がご推薦しなければ決まるはずありませんのにね

自由がない身分の皇太子妃になりたくないという理由もありますが、
最大の理由は明仁皇太子に魅力がなかった。
根性と性格が悪いと言う話は華族社会では周知だったから、みんな皇太子妃になりたがらなかった。

④正田家は皇太子妃にさせたくなかった

どうかこの話はなかったもの 

藤島泰輔が暴露してます。
軽井沢の上流社会は狭いので偶然出会ったとは考えられない。
要するに正田家側も計算していた。
正田家って美智子さまが結婚してめちゃくちゃおいしい思いをしています。
美智子さまのお兄さんは婚約していましたが、妹が皇太子妃になると決まったら「お宅とうちじゃ家格が違うから婚約は解消します」と宣告しました。そして浜口雄幸首相の孫と結婚しました。そして弟は大原家から嫁をとり、妹は安西家に嫁ぎました。いずれも皇太子妃の実家でなければ本来なら正田家は相手にしてもらえない家です。

⑤良子皇后筆頭に女性皇族みんなが美智子さまを反対していた

わたくしは北白川さんと思いますわ
ばかばかしい

松平信子さんは東宮参与として皇太子妃選びという大役を背負っていました。
まー、とにかく大変だった。
甘やかされて育った明仁皇太子と結婚したくないと皆嫌がった。
ようやく旧皇族の北白川肇子さんで決まり松平さんもホッとしていました。
しかし小泉侍従らは正田美智子嬢がいいとこっそり動いていました。
正田美智子嬢が皇太子妃に決まっても、まだ松平さんに報告しなかった。
「皇后さま勢津子さま喜久子さまそれに松平に言ったら絶対反対するよね~。ギリギリまで黙ってよーぜ」と皇室会議の数日前まで秘密にしておいたのです。
北白川さんで決まりと新聞記者まで思っていたことから上流社会の人は全員北白川肇子さんが皇太子妃になると疑うことなく信じていました。それが違ったんだから、北白川さんはさぞ恥ずかしかったろうね。平民に負けたと世間には思われたんだから。
北白川さんのことを考えたら、そりゃ松平さんだって激怒するよ。何と言ってお詫びしたらいいのか真っ青になったでしょうね。

高松宮妃も

喜久子さまの反対理由は平民だったら宮中の難しい決まり事を理解することが難しいというものでした。
喜久子さまの心配通り結局美智子さまは皇室の伝統を破壊しましたね。


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