硫黄島の洞窟を裸足で歩いた高松宮殿下 

ライブラリーさまからコメントを戴きました

高松宮ご夫妻の御活動

たしか、高松宮様、喜久子様ご夫妻は、かつての南方の戦地(具体的地名は忘れましたが)に、旧日本軍の兵士たちの御遺骨の収集に数回行っておられたと記憶しています。

関係者と一緒に、実際に御遺骨を探したり収集する作業をなさっておられます。
ざるを使って川の水で泥をすすいで、骨のかけらを探し集める、そういう作業です。

多くの人々が亡くなっているところだからと、お二人は靴を脱いで裸足になって洞窟内などに入り、御遺骨を探されたそうです。

たぶん、何かの手記か、あるいは妃殿下自身がお書きになったものが残っているはずです。

高松宮さまは海軍、今もご健在の三笠宮さまは陸軍と、皇族男子は皆、先の大戦時、実際に戦った軍人でしたから、他人ごとではなかったはずですし、また、皇族として申し訳なさも強く感じておられたでしょう。

まあ、次世代だからしょうがないとはいえ、今の天皇皇后のパフォーマンスはいただけませんね。

かつての悲惨な戦地でさえも、美智子さんの公務でご活躍の「舞台」と化してしまう、平成って妙な時代ですね。


コメントありがとうございます。

やっと喜久子さまの著書の該当箇所を見つけました。

(遅くなってごめんなさい)

遺骨収集は硫黄島でのことです。

昭和46年3月
高松宮殿下は海上自衛隊の飛行機で硫黄島に飛びました。

硫黄島で遺骨収集、戦没者慰霊の催しに参加されました。

案内役は後に総理となる橋本龍太郎厚生政務次官

島には未整理の洞窟があり、遺骨が昭和20年のままの状態のまま散乱していました。

悲惨な死を遂げられた方々です。

阿川弘之氏と喜久子さまとの対談
阿川弘之氏
前もって説明なしに洞窟の前へ立たれた殿下は、ハッとがて息を呑む気配をお見せになり、やがて地べたに正座し、両手をついて首を垂れて、瞑想状態に入られた。一言もいっしゃらないから、何を念じていらっしゃるのか祈っていらっしゃるのか分からないけれど、随行の者みな、電気に打たれたような気分だったと聞いております。大分長い時間そうしていらして、やっと起き上がられたのを、次に、整理の済んでいる壕へご案内した。ここは中に入れます。入れますけど、やはりあちこちに、拾いつくせなかった骨の小片が散らばっているんだそうですよ。仕方がないから、海上自衛隊駐屯部隊の隊員たちでも、みんな靴でそれを踏んで歩くのが普通のことになってしまっている。ところが、殿下はためらわれた。そうして、つと靴を脱ぎ、靴下も脱ぎ、素足になって、骨片が散らばる洞窟内へ入って行かれた。私も知ってますが、硫黄島という名前の通り、あの島の壕の中は地面から硫黄のガスが噴き出しているんです。そこを素足で視察した人は、後にも先に高松宮様お一人だそうです。

(『菊と葵のものがたり』引用)

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高松宮殿下も海軍に所属していた軍人でした。

そして昭和天皇の弟です。

今の両陛下も硫黄島へは慰霊に行っていますが、

高松宮さまのお気持ちとはまったく違うと私は思います。

喜久子さまと有栖川流書道

今日12月26日は高松宮妃喜久子さまのお誕生日です。

喜久子さまはお母様が有栖川宮家ご出身です。

喜久子さまはお母様より有栖川流書道を伝授されました。

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高松宮さまとの間にお子さまはいらっしゃません。

有栖川流は常陸宮妃華子さまと礼宮に伝授されました。

華子さま

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華子さまと喜久子さまは微笑ましいエピソードがあります。

喜久子さまと華子さまのお母さま(津軽久子さん)は同級生。
華子さまが筆頭宮妃に決まった際に香淳皇后が喜久子さまに直々にこう仰いました。

「華子の和服の見立てと仕度とを、君さんに頼みたい」
(『菊と葵のものがたり』より引用)

喜久子さまは勢津子さまと百合子さまにお声掛けをして三人で呉服店から取り寄せて選びました。

有栖川流書道を華子さまが学ぶきっかけも良子さまでした。

「君さんのところ子供がないから有栖川御流がそこで絶えてしまう。もったいない」と仰ったからです。

ちびサイズ

よくお似合いですね。

こういう経緯もあって、喜久子さまにとって華子さまは娘のような存在となりました。

礼宮

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礼宮がどうして有栖川流を学ぶことになったのかというと

昭和の皇太子が「礼宮が高松のおじさまのような字が書きたいっていうので教えてください」

と高松宮さまにお願いしました。

しかし、高松宮さまは「私は字なんて教えられませんから喜久子にさせましょう」と仰ったため、

喜久子さまが礼宮の先生になりました。

どんな弟子だったのかというと

歌会始の勅題、天長節、皇后様のお誕生日、皇太后様のお誕生日と、毎年四回、御歌を書いて送ってこられます。
どうもご両親様から詠むようにおっしゃられて、送っていらっしゃるようですが、いつもそれがスローモーションなのよ。
お早く詠んでちょうだと言うんですけど、ぎりぎりまで来ない(笑)

お正月の御勅題は、男と女で書き方が違いまして、男の方のがむずかしい。三十一字を、九字、十字、九字、三字と四行にわけて書くのが決まりなのです。これを九十九三と言います。おしまいの三字は硬い字で書く。ところがあのお坊ちゃまの歌は九字で切れない(笑)。時々、とんでもなく字余りになってしまう。仕方がないから、その御歌の字に朱を入)れています。

(『菊と葵のものがたり』より引用)

ぎりぎりまで出さないというのが秋篠さんらしいですね。

このブログの読者の方がこっそり教えていただいたのですが

礼宮のテストの答案は字が汚い上に点数もひどかったとのことです。

皇族程馬鹿ゲタ職業ハナイ

高松宮と海軍高松宮と海軍
(1996/03)
阿川 弘之

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阿川弘之先生の著書を読みました。

なかなか面白かったので紹介します。

無題


タイトルの言葉は大正12年(1905年)10月12日の日記に書かれた一人の若者の声です。

高松宮殿下が日記に残した言葉です。

高松宮、まだこの時はご結婚前でしたから

光宮(てるのみや) 宣仁親王殿下でした。

大正10年8月24日、宣仁親王は海軍兵学校本科に編入(52期)されました。

大正12年、宣仁親王は18歳でした。

どうしてこんな言葉を日記に書いたのか

とにかく自由がなかったからです。

皇族が軍隊に入ると、必ず御付武官と一緒に行動しなければなりません。

御付武官は護衛官は少佐中佐クラスの軍人がなります。

先生と護衛官を併せたような海軍のお偉い人がいつもいる。

友達と「あの先生さー」と愚痴ることも出来ません。

ただでさえ、自由のない寮生活なのにさらに憂鬱になります。

それに対してこんな風に記しています。

「要スルニ学校内デハ何処ヘデモ尾ケテアルクノダサウナ。私ガドウシテソンナニ一人デ歩クト信用ガ出来ナイノカシラ」
(大正10年5月21日)

皇族でもやっぱり10代の学生です。

今風の言葉なら「マジうぜえ。一人にさせろよ」というところでしょう。

ただでさえ天皇陛下のご子息というだけで遠巻きに見られるだけなのに、

いつも偉い軍人さんが一緒ならばなおのこと友達なんてできません。

大正10年11月28日の日記にこう残しています。

「私ハホントニ常ニ孤独デヰナケレバナラヌノダラウカ。寂シイ寂シイ寂シイ」

21世紀の現代には皇族を絶滅寸前の動物のように見る人間がいます。

戦前の皇族は神様でした。

海軍士官学校を卒業し、戦艦比叡に配属されても苦悩は続きます。

仕事をさせてもらえないのです。

せっかく一生懸命勉強したのにそれを活かすことを許されない。

そんな毎日をこう歌いました。

私は比叡の油虫

立派なお部屋に

納つて

たらふく食つたら

ちょろちょろと

ふざけ散らして

毎日を

遊んで暮す有様は

他人が見れば羨めど

我身となれば徒食の

辛さに苦労の益す許り

早く私も人並みに

比叡のために働いて

大きな顔して闊歩して

愉快な日々を送りたし


昭和天皇も孤独でしたが、その弟である高松宮さまも孤独でした。

プリンセスの中のプリンセス―高松宮妃喜久子さま―

意地悪姑の汚名を今も着せられている良子さま

そして意地悪姑の仲間扱いされいるのが秩父宮妃勢津子さまと高松宮妃喜久子さま

今回は管理人が会いたい歴史上の人物第一位の喜久子さまをご紹介します。
(まあ、薨去されてから15年も経っていませんが
亡くなっているので歴史上の人物とさせていただきました)

宣仁親王妃 喜久子殿下

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1911年(明治44年)12月26日 - 2004年(平成16年)12月18日

喜久子さまは最後の将軍徳川慶喜の孫にあたります。

喜久子という名前はおじいさまの慶喜の「喜」とお父さまの「慶久」の久をとって喜久子と名づけられました。

世が世なら将軍家のお姫様なのです。

さらにお母様は有栖川宮家王女の実枝子様

だからプリンセスの中のプリンセスと言われています。

喜久子さまは粋ということを知るお茶目な方でした。

管理人が驚いたのは著書『菊と葵のものだたり』に収録されているインタビューで喜久子さまが

菊と葵のものがたり (中公文庫)菊と葵のものがたり (中公文庫)
(2002/01)
高松宮妃喜久子

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記載されていたこの写真を見て痺れました。

美智子さまがパチモンに見えるくらいの気品と品格です。

辞典に「王道」「正統」「宮妃」「品格」という言葉の横に喜久子さまのこの写真を載せて欲しい。

この本を読んで一番印象に残ったのは

大河ドラマで徳川慶喜を演じた本木雅弘さんを「モックン」と呼んでいることです。

皇族の女性がモックンと仰った!

(美智子さまなら絶対言いませんよ(笑))

この「モックン」に代表されるユニークでおおらかなお人柄を知ると

「実際にお話されている動画が見たいなー」と思い始めました。

探しましたがなかなかありません。

ああやっぱ見れないのかと思っていたら

ニコニコ動画で見つかりました。

灯台下暗し



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お召し物がとっても素敵

一人称が「あたし」

すごい。今の皇族の女性が使おうものなら絶対叩かれます。

話し方もたらたら、ねちゃねちゃしていません。

はきはきとお話しされています。

ああ、本当にお逢いしたかった!

この方他にもエピソードがありまして

・秩父宮妃勢津子さまと変装してはとバスツアーに参加
(結局バレたので途中からは変装を止めました)

・スピード違反をして警察に止められるも皇族ということで見逃してもらった
(ただし、後日宮内庁からそういうことは止めるように言われたので、
「ばらしたのよ、あいつ」と仰っている)

・ジバンシーの帽子が大好き



プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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